日記+「“je suis charly”とは、言論の自由について考える。」
- mahomiyata45
- 2015年1月18日
- 読了時間: 4分
今日は、日本の教育から就職活動の制度、また就業制度に渡るまで、様々な人生の分岐点で多くの「疑問」について、大の大人3人が集まって語った。
私も、就職活動を通して、日本の「おかしさ」に訴えを持つ一人である。
今日、この話題についてぜひ触れたいところであるが、その前に、準備として、以前私が書いた記事を紹介したい。
この記事にあるように、言論の自由、思想の自由について深く議論すべきが民主主義の本来あるべき姿であるはずだ。しかし、現代の日本では、夢を持つことすら忘れてしまっているのではないか…と言いたい。
自己主張のない日本では、ダメなのだ。
関連記事にしては、今後書くことにして、facebook上に投稿し、様々な方からリスポンすをいただいた記事でもある。ご存知、フランスで起こった新聞社襲撃事件についての記事である。
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“je suis charly”とは、言論の自由について考える。
ちょっとまじめな話をしよう。最近、フランス人の友人や、フランス語に堪能な友人らが、facebookなどのSNSを中心に、”Je suis charly” という文字をプロフィール画像に設定するのをよく見かける。私はフランス語は全くなので、意味を調べると、直訳は、「私もcharlyだ。」となるそうだ。Charlyというのは、1月7日、パリの新聞社が襲撃されるというテロ事件のおきた、新聞社の名前 ”Charlie Hebdo” を表している。これが何を意味するのか、私たち日本人も知るべきだと感じ、文章をシェアしようと考えた。
“je suis charly”この文字の真意は、表現の自由を求めることだ。なぜ、それが「私もcharlyだ。」という文章に託されたのか。それは、今回、襲撃された場所が新聞社であるからだ。
日本も赤報隊事件と呼ばれる、朝日新聞社連続襲撃テロ事件の過去を持つ。約30年前の数年間に渡って引き起こされたこのテロも、数名の命が奪われた。当時の朝日新聞は、戦前戦後の過激な(右よりの)記事の面影もなく、表現の自由による左寄りの記事も扱うようになっていた。赤報隊と自身らを名乗るテロリストたちが、これを不服とし、新聞社へテロをしかけたのだ。つまりこの事件はただの(といっては語弊があるが)凶悪殺人事件であるだけではなく、国民全てに対する表現の自由への否定行為である。そして、表現の自由とはある種、思想の自由であり、民主主義国家の最たる特徴である。これが侵害されるとうことは、つまり民主主義への背信行為なのである。
今回のフランス新聞社襲撃テロも、残念ながら、犯人らの置かれた環境(人種や宗教による思想の推理)により、表現の自由に対するテロであるとの見方が強い。従って、フランスでは、一般市民らが、通常以上にこの事件へ対するデモ活動を行っていると見られる。「私もcharlyだ。」つまり、私も表現の自由に賛同している。
フランスも社会契約論の下に国家が成り立っているとはいえ、アメリカや日本の民主主義とは形が異なるだけであり、またフランス革命などの過去を見ても、国民の権利を重視している国家と言える。(課題は各国に存在するので、そこは今、論点ではない。)
表現の自由は思想の自由である。だからこそ、表現の自由はある意味で民主主義国家を継続することよりも重視されるべきものであり、一市民が必死になって守ろうとするものである。反勢力は、皆が平等に思想を持つことを恐れているということでもある。こうやって一学生が好き勝手に意見を書けるのも表現の自由が保障されているからである。
…以上のことが、この「私もcharlyだ。」の真相のようだ。21世紀になっても未だ表現の自由が侵される時代が続いている。
最後に言いたいのは、表現の自由の保障には多いに賛同しているが、犯人の人種や国籍について否定

的になるべきではないということだ。表現の自由が保障されているのにも関わらず、日本のマスコミはどれだけ各宗教の教えの違いや歴史について報道してきたのか。私はもちろん不十分(むしろ現状は皆無)だと考えている。今回の事件とは話がそれるが、日本では、テロ=イスラム過激派という印象があるだろう。これはマスコミの刷り込みではないか。例えば、イスラム過激派がどこの宗派を指しているのか、どれだけの人が知っているのだろうか。日本では、イスラム教のスンニ、シーアの違いについても全く言及しないに等しい。そもそもこれらが宗派というよりももはや別の宗教であるということをどれだけの人が知っているのだろうか…。
これまで書き始めるとかなり長くなるので差し控えたいが、ぜひ報道者になったのなら、視聴率の取れるニュースだけを流さずに、ぜひ国民の知る権利に応えてほしいと思う。
後半、かなり話がそれてしまったが、ぜひ世界各国で表現の自由が侵されることのない未来を実現していってほしい。
※画像は全て引用。ペンを持つ女性は、新聞記者などがよく「命捨ててもペンは折るな」といわれることから気に入った一枚。(つまり命なくしても信念を貫けと言う事)
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