何かがおかしい…「万引き偽装で少年法改正を訴える」
- mahomiyata45
- 2015年1月19日
- 読了時間: 9分
ここ数日、万引きや食品商品への異物混入などの疑いのある動画をネット上に流出させ、逮捕状が出たために逮捕された19歳の少年。
各報道機関や、少年自身のアップした動画によると、少年は、「少年法改正」を訴えるための手段として、これらの悪質な動画をアップしたとされている。
後に、動画を撮ったと思われるお店や、少年の自宅から動画に映っていたと思われる異物混入したお菓子や、動画に登場した商品のレシートなどが見つかり、実際に売られていたもの(購入前の商品)にいたずらをされたり、実際に万引きが行われたりという可能性は低いということが、判明し、事実関係に関しても警察が調査している最中のようだ。
多くの報道機関によると、いくつかの観点から、少年の真の目的は、「目立ちたい」「構ってほしい」というような、成熟未熟な部分からなるものではないか…と言われている。
私自身は、犯罪心理学者でも評論家でもないために、この辺りの真相を検証することはないが、彼自信の主張である、「少年法改正」が目的であったということにフォーカスすると、彼の今回の行いで何が問題となったのだろうか。また、現状、彼に課された「建造物侵入」という判断はどうだったのか。世間の対応(マスコミで大きく取り上げたり、少年の動画を視聴したり、少年の名前や顔を独自調査し、ネットで流したりという行為を指す)がどうだったのか。という点にフォーカスし、言及したいと思う。
まず、現状の少年法とはどのようなものなのか。
具体的な年齢を指定して、~歳以下のものは、刑事処分が行われない旨を規定したり、少年院を設け、彼らの更生を図ろうとしたりする法律と言える。刑法や刑事訴訟法に関するだけでなく、少年院法など、具体的な少年法に関わる法律も複数存在する。詳しい少年法の内容に関しては、Wikipediaなどでも十分に得ることができるので、参照されたい。
ここで、少年が「少年法改正」と具体的に主張した内容は如何なるものであったのか。ビデオの中でのコメントなどで、推測するに、『成人なら、罰せられる償いも、未成年であると言うだけでない。』『実名や顔の公開がない。』『何度罪を犯しても、短期間で社会へ戻され、そして繰り返す(=少年法、真の目的とされる更生が機能していない)』といった主張だと思われる。一般的にも、少年法が議論される際には、同じような主張がなされており、少年法を無くさないとしても、設定年齢の若年化などが議論されている。少年自身も、動画で、「~歳以下とかだったらわかるんですけどね。」や、「中学生でも善悪の判断なんてつくんですよ。」のような言葉を残している。しかし、「少年法改正」という言葉は何度も口にするものの、具体的な改正案などが提示されることはなく、欠ける部分があることは否めない。
そして、訴える手段について考えよう。彼が「少年法改正」の「手段」として選択したのが、「犯罪を動画にして公開し、警察や法の無力さをアピールするもの」であったと言える。表現が薄っぺらくなるが、「こんなことしても、今の法じゃ償いの必要もないんだぞ!どうだ!」とでも言えるような感じだ。しかし、考えてみてほしい。もちろん誰でも容易に考えることではあるが、「法を改正したい」「日本を良くしたい」と思う者が、罪を犯して訴えるものに、説得性や、善の影響力が果たしてどのくらいあるといえるのだろうか。犯罪っをもって訴えるという方法は、明らかに支持されない方向にあるだろう。(もちろん一部の野次馬などは存在するが。)そして、何よりもネット上に動画を流すという、誰でも見られる状況を作り出したというのは、彼の完全なる誤判であると言わざるを得ない。世間には、「模倣犯」という輩が存在し、そして、彼らの好奇心に火をつけることになりかねないのだ。(実際今回の件でも、模倣犯らしき犯行が確認されている)彼はこの点について、日本を変えたいという思いだったとするなら、どのように考えたのだろうか。社会的犠牲として、そういった新たな犯罪を招きえないことは、致し方ないこととして捉えたのか、初めから考えなかったのであれば、それこそ、無責任な行動であるとしかいいようがない。
また、彼は「逃走」している。約3日間の逃走を経て、逮捕(当時は確保)へ至った。ここで、学生運動の時代を思いうけべてほしい。当然、私自身も、学生運動の時代には影も形もなかったわけであるが、社会を変えたいという者は、例え、国と対立することになっても、堂々とその身を差し出したのではないか?もちろん、歴史を観れば、孫文のように、国と意見がそぐわず逃亡した者などもいる。しかし、それは、それぞれに、これから新たな活動をする、国の再建を行うなど、さまざまな目的が残されていての事にすぎないとも言える。そんな中、彼はなぜ「逃走」したのか?警察や法を批判するための時間だったのか?いずれにしても、「逃走」する限り、「悪い事をしている」という意識があるかのように思える。法を変えたいのであれば、善の方法を持って、デモ活動をしたり、署名活動をしたり、他にいくらでも方法があったのではないか。何か彼の行動に「善」と「悪」の共存というか、「悪」の存在を感じる。世間も、当初は「少年法改正」の目標に賛同したとしても、彼の行いに混乱を覚えたに違いない。
いずれにしても、個人的には、「少年法を改正したい」という気持ちが本当にあったとしても、その手段にかなりの欠点を指摘する。そして、その大きな使命に対して責任感の不足も感じる。
もちろん、動画を投稿はしたものの、実査には、万引きや異物混入はしていない可能性が高いということがわかってきている。仮に全くこれらの罪を犯していなかったとしよう。しかし、その点が重要だろうか。自己防衛に過ぎないようにしか思えない。
次に建造物侵入として少年を逮捕したことについて。少なくても上記述べた通り、これだけ世間を騒がせたことを少年に反省させる必要があると共に、皮肉ではあるが、少年法に基づき、彼自身、社会復帰するための更生を行うべきである。身柄を確保するために、建造物侵入を利用することは多い。その後、今回の件のように窃盗や器物損壊の罪があたるのか、営業妨害などの罪にあたるのか、と次々と疑いある犯罪への該当を確認していくことは個人的に重要なことだと考える。もっと他にふさわしい罪があるのではないかという声もあるが、このような特殊ケース(疑われる犯罪内容が多数あり、複雑で何が最も重要項目であるのかわかりづらいもの)に関しては、今回の手段を取るのがベストではないかと思う。
最後に世間の反応について。
個人的に、マスコミに対しては、最近、視聴率狙いの情報が錯綜され、批判の気持ちでいっぱいである。しかし、今回の件のように、未熟な犯罪が次にどのような弊害や危害をもたらすかわからない、もしくは、未熟な少年自体を早く拘束し、更生させるといった緊急的な理由がある限り、むしろ、こぞって報道しても良いと考える。しかし、その際に気をつけなくてはならない点はもちろんいくつかある。例えば、今回の少年の行動として、万引きや器物損壊は、殺人や強盗など、場合によっては死刑が下るような凶悪犯罪と異なり、比較的、模倣犯がでやすいようなものであった。そのため、問題の動画の情報提供は極力控えたり、警察がどのような目的で彼を緊急に追っているのか(すぐに更生させる必要がある)という旨を強調したり、また、商品を扱う企業や店舗に配慮した報道などが求められるだろう。
また、一個人がとるべき行動として。彼の一連の行動が「注目されたい」という動機にようる可能性がある以上、彼の動画を視聴し、人気を上昇させていくこと(=注目する)という行為は、彼の思うツボだとも言える。そして、動画に「やめなさい」「自首しなさい」というようなコメントも多く見られる一方で、「あなたを応援します」というような同調者を生んだと思われるもの、少年に対する誹謗中傷なども見受けられた。私自身も、記事を書くにあたり、少年の動画をいくらか視聴したし、各種メディアも加工を加えているとはいえ、少年のビデオを使用し、報道している。しかし、特に大きな目的がないのであれば、視聴を控えるべきだとは考える。また、何かの理由で視聴する必要があるという場合でもその回数などを減らせることが理想であると言える。私個人も気をつけたい問題だ。コメントに関しては、賛否両論あるだろうが、場合によっては、少年を追い詰めることや煽ることに繋がったり、新たな犯罪を生んだり、最悪な場合、「犯罪を助けた」ということにもなりかねないので、差し控えるべきだと考えている。
少年の個人を特定し、情報を流すことに関しては、昔からよく議論されている。時に、週刊誌や新聞などの媒体でも、そういったものが報道されることはある。しかし、一個人が、そういった信憑性の確保できないものを流すことには様々な危険が潜んでいることは、頭に置いておかなければならない。今回も、少年の顔写真だといって、いくらかの写真がネット上に流されていた。中には、芸能人らしき写真など明らかな誤報も見受けられた。こういったことが実際に起こっている以上、一般の罪なき人を傷つける可能性が多いにあるのだから、すべきではない。また、報道機関がそういうことを行うことにも様々な批判や支援の声があるが、一個人の報道は、どうしても灼熱し、野次馬のための配信のように思えてならない。こういった社会混乱に漬け込んで更に、問題を拡大していくことは、結果として悪となりうる。そして、今回の場合、少年自身がこのことについて言及しているが、むしろ「少年法改正」というトピックを挙げて一連の行動を起こしている限り、これに関わる彼自身の個人情報の公開という視点で見ても、彼の行動を煽るものであると言える。
…まだまだ多くの問題点が残り、まだ熱の冷めぬ問題となりそうな今回の件。私が最後にひとつ言えるとしたら、様々な社会現象に対して、たったひとつの視点から物事を観れば、必ず偏りは生じるし、仮に複数の視点から見てもそれが生じたとしても、やはり一点から見るのと比較して、大袈裟になりがちだということだ。様々な視点があるといっても、全てプラスではない。しかし、あえて、ひとつでも多くの視点から物事をとらえるということが真実に近づき、また遠のくのだと思う。個人の解釈で構わないと思う。ある現象が何を社会へもたらし、そして、必ず遠くても、自分自身の生活とどこかで繋がりがあることなのだ。すべての物事に、人が学べることはある。そう主張して、この長い文章を綴り終えようと思う。
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