初仕事を終えて。~就活、人生について考える~
- mahomiyata45
- 2015年2月6日
- 読了時間: 8分
フリーランスでのライターの初仕事。明日が締切の約1週間、期間をいただいていた。起床後すぐに執筆開始し、さきほどやっと終わった。約3時間かかったかな?もちろん実質的に書いた時間だけであって、実際は下調べや場合によっては取材にかなり時間がかかる。
こちらのブログ、自己紹介でも「就職活動で苦労した。就職活動に疑問を感じている。」ということをちらっと書いた。今回の初仕事を終えて、改めて就職活動という「社会問題」について、また自身の「人生」について考えるに至った。
そして、こんな駆け出しの私のブログを読んで下さるみなさまに、少しづつ、どのような就職活動してきたのか、私がどのようにこの社会問題を認識、経験してきたのかをお伝えできればと思う。
私が大学で学んだことは、机上での「マイノリティの人権保護」について考えることばかりではなかった。もちろん、それが私の人生を通しての課題や使命となるだろうということは、身を持って実感する4年間となった。しかし、もっと即効的に実感せざるを得なかったことというのは、多くの留学生の友人や、NPOで活躍される人々の考え方だった。
多くの国では、大学での学びを直接仕事に結び付けることが、常識とされている。しかし、それ(仕事)自体を「人生」とする考えは、あまりない。もちろん皆無でないことは伝える必要があるが、仕事=人生「の一部」として考えるのが一般的であって、手を抜くこともないし、それだけに執着することもない。
よく自己紹介の段階で「あなたは何学部に所属し、どんな勉強をしているのか?」「そしてその勉強を活かして、どんな仕事をしたいのか?」という話しをする。しかし、学ぶことと働くことが多くの場合、完全に分離している、もしくは学んだ内容よりも「学歴」が、仕事内容ではなく、「所属する企業のレベル(大企業なのかどうかなど)」に直結しやすい日本では、この質問に答えるのが困難と感じる学生、もしくは、なんでこのような質問をされたのかその意図自体を酌むことができない学生が多いのは否めない。
恥ずかしながら、私自身も、大学を選択する段階では、将来の仕事までは考えていなかった。良くも悪くも日本では、多くのことに関心を持ち、それを実践していくことが可能なのかもしれない。どんな学部を選んで、どんな勉強をしても、人生がその瞬間にある程度絞られてしまうというケースは少ないからだ。
しかし、それが、「就職活動」を「社会問題」へ押し上げてしまったことも事実ではなかろうか。
先述の通り、多くの国の学生は「私は○○になるのだ。」ということを心に決めて進学するし、企業も、そういった環境で就職した人の集まりであるから、「あなたは会社のために何ができるんですか。」というスタンスではない。なぜなら、そこに応募してくる多くの学生が、具体的にその会社でどのように夢を叶えていこうとするかプランニングしてきているし、会社もわざわざそれを聞く必要がない。
しかし、日本社会ではそのような前提がないので、その学生がどれだけ自分たちの会社で活躍してくれそうかを、何らかの方法で測るしかない。そうなれば、どうしても、その学生がどのような人物であるのかを検討する必要に迫られてしまう。
そこで、企業も、どれだけその人が「学校」という組織、「サークル」という組織、様々な組織でどのように生きてきたのかを聞いて、自身らの会社でも同じようなパターンで生きることを「予測」する。
しかし、思い出してみてほしい。意欲や動機を自身で全面的にアピールする学生。そして、それをただ受け止め、もっと良くしていこうとする会社。そのような構図ではない日本。
色々なことに興味を持ち、様々な選択肢を残したまま教育を続ける日本の常識。
そんな学校という「社会」を、垣間見ようとしたところで、それが成功することも難しいし、例えできたと仮定して、専門的な会社という組織でその学生がどれだけ役に立つのかを本当に測ることができるのだろうか。
挙句の果てには、会社も「このような人が欲しい」という概念が抽象的。学生も「このような会社で働きたい」という思いが、福利厚生などの補助的な部分であるはずのものに向けられるなど、最悪の事態を引き起こしている。
このような構図を続ける限り、会社にとっていい人材が見つかる確率はずっと低いままだろうし、学生たちも、本当に生きる意味を考えなくなるのではないか。
日本社会は、仕事=人生にするような構図を持っている。それを止めないのに、人生とよぶにはあまりに悲惨な選択肢しか与えられていないように思う。
また、このような構図の中で、本当にやりたい仕事だ!とやってくる学生たちが、ただ少し成績が悪いだけで、ただ、きちんとその価値に気づけない面接官に出くわしてしまうだけで、ただ、社会の常識とは異なるというだけで除外されていくのだ。
働くことの本当の意味は何なのか?
目的もよく見えない現状で、本当に「人生をかけて」働こうという人など、少なくてもそのような構図にある企業では皆無に近いと考える。その中で、どんないい人材が見つかるというのだろうか。どんなメリットがあるというのだろうか。
私は就職活動で、「本音」を伝えてきた。おかしいと思えば反論し、差別的な質問があれば、そのような質問には、こういう理由から答えないとはっきりと言った。しかし、それはもちろん仇になった。もちろんそんな簡単なことがわからなかったはずがない。受かることはないだろう、と見込んでも、こんな価値観しか持たない企業に入ってたまるか、という思いに負けるわけにはいかなかった。
本当の自分を見せられない場所で、本当の自分の夢を叶えられるわけがない。そう思って、日本社会の常識に反しても、自分を貫いた。
結果として、まだ内定はひとつもない。
知人の中には、私の現状を見て「就活に失敗した」という者もいる。
しかし、本当にそうなのか?少なくても当事者である私は、失敗したなんて思っていない。
それを負け犬の遠吠えと思う者も少なくないだろう。
しかし、私は、結果として、「情報を広げることで、自分が学んできたマイノリティの人権保護や社会問題に訴えかける」この信念を貫き通す一歩を得た。
例えそれが本当に数ミリの前進であったとしても、全くそのようなことに携われないこととは大きな違いなのだ。
少なくても私の中にも、「仕事=人生の一部」という考えはある。
だからこそ、譲れないものは貫き通したし、その価値があったと誇れるのだ。
個人的な話しになるが、私はライターの仕事を得たといっても、それこそ「安定」していない。私のライターとしての活動を認めてくれる場所で、生きるために他の仕事もしなければならない。
しかし、それもまた「人生の一部」としての仕事だ。例え、その中に直接的に繋がる「夢」がなくても、私は夢を目指し続けられる環境を得るために、生活に必要なお金を得る。
そして、フリーランスのライターだけにとどまることもないだろう。私は、仕事が目的ではない。仕事はあくまでも人生の一部であるから、マイノリティの人権保護活動を続けるために、「仕事」という多くの「手段」を用いるだろう。
それを望んでもいないのに、仕事が人生になっているあなた。内定をもらっても、これでいのかと悩み続けている、あなた。この現状はあなただけのせいではないと私は知っているけれども、あなたこそ、就職活動に失敗したのではないですか。
もし、その失敗に気づいたのなら、今からでも、「自分らしい道」を目指してはどうですか。
就職活動をしている人事のあなた。
あなたに人の人生を判断する能力なんてあるのでしょうか。恐らくありません。学生はあなたの働くその会社に入る為に、いくらでも大きな嘘をつけますよ。仕事という人生がかかっている以上、法律を犯す以外のことならなんでもできるでしょう。人生がかかっているのですから。そんな学生を相手にあなたは一体何を見ようとしているのですか?
それとも、あなた自身も、学生時代を振り返れば、学生の本音をもうお見通しでしょう。こんな終わりのないループの中で、あなたは一体何を目指しているのですか。
就職活動という社会問題。それはあなたが引き起こしたことではないでしょう。でも、それを助長しているのはあなたであるということを良く覚えていてください。
そして、あなた自身にも、まだ社会を変えるチャンスが与えられているということを忘れないでください。
最後に、私自身は、生活のために働こうとしている企業で、実は、将来的に「人事」を希望しています。私自身が批判した就職活動を助長するのか…。そんなご意見が聞こえてきそうですね。
私がお世話になろうとしている企業では、かなり個性的な採用活動を目指しています。この企業以外にも、多くの工夫を凝らした採用活動をされている企業はあります。どんな形にしろ、私は本音を言える学生、どんな形であっても夢を実現するために、仕事を利用しようとしる学生、そんな人が救われるような人事をしてみたいと思いました。
人事は私の夢ではありませんが、自分自身が困ったことを解決へ導くために働きたい、そんな思いで、仕事は十分なのではないでしょうか。
まだ内定もいただいていない企業ですが、お世話になることが決まれば、私は、自分の夢を追いかけつつ、社会に恩返しするために、自分が困った分野で手を差し伸べることができればと思います。
この大きな社会問題、私たちの手で変えていきたいですね。
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