『お金』
- Maho
- 2015年10月6日
- 読了時間: 4分
『お金』
いろんな人を見てきた。
多くの人がお金が欲しいという。
私は出世とか、お金に興味がないはずだった。
仕事をした分、評価の対象として、報酬であるお金の額が増えるのは、認められたという意味で喜びはある。
だけど、お金に興味はない。
哲学の教授が言った。
人間はお金に支配されるべきではない。
魂の解放とはお金に操られないことだ。
私だって物欲がないわけじゃない。
でも、贅沢しなくたって生きていける。
私はずっとお金にコントロールされる人生は不幸だと思ってきた。
今もそう思っている。
私はそこそこ学歴があるけれど、それに見合わないような企業に就職した。
ひとつは、ブラック企業がどんなものか見てみたかった。
幼い時から私の生きるは人の役に立つことだと思ってきた。
今の仕事に、何の価値もない。
誰も救えていない。
もちろん、今のままここにこびりつくつもりは微塵もない。
ある人に出会った。
稼いでも稼いでもお金が貯まらない。
稼いでも稼いでも借金に追われている。
その人自身が作った借金じゃない。
その人の親がその人の学費や奨学金にまで手を付けてその人自身が返し続けているお金だ。
ある人に出会った。
上の人しか儲からない、名ばかりビジネスに従事している。
ある種、宗教的な感覚すら覚える。
その人が言った。
「君みたいにお金があったらな。」
「私は同和の出身だから。」
「10代から働いて、若くして親になった。」
ある人に出会った。
「うちは名家の出身でね。」
「社長になった理由は代々ビジネスを立ち上げて成功したり失敗したり。」
「色々見てきたけど自分が幼いころはお金がなくてみじめだった。」
「大学は卒業したけど、ずっと色々なバイトをして過ごした学生時代だったね。」
なんて寂しい人生なんだ。
そう思ってしまった。
自然の美しさや、人の温かさや時間。
知に喜びを感じたり・・・。
お金で買えないものの価値を見たことがあるのだろうか。
そして同時に思った。
きっと私はお金に苦労してこなかった。
確かに父が一度リストラにあって、学歴に見合わない仕事をさせられるようになったけど。
生活に苦労なんてなかった。
両親や祖父母が私達姉妹が苦労しないように、大学まで全てお金を払ってくれた。
今だって、まだ実家にこびりついている。
お金で苦労したら、全ての価値観はお金を軸にできるんだろうか。
人生はお金に振り回されるためにあるのか。
人生を謳歌するために、ツールとしてお金を使うのではないのか。
社会に出て、ある意味で更にお金の無力さに気づかされる。
一体、人間はいつまで自ら作った妄想や幻想に振り回されるんだ。
そして気が付く。
お金がないと豊かな考えも発想も生まれないんだと。
この美しいと思っていた哲学も、お金を持っていたからこそできた、ただの綺麗ごとであるということ。
そして、私がもし、何かを動かしたいと思うのならば、やっぱりお金が必要なんだということ。
ただ、私はお金のためには人生を消費しない。
目的を達成するためにはお金は必要だけど、お金のためだけには生きるべきじゃない。
心が綺麗だと言われる人は、お金に困ってこなかった人か、お金という概念のない人だけかもしれない。
…さて、お金が欲しい人たちに出会ったことで、私には目標ができた。
漠然と人の役にたつ仕事がしたいと思ってきたけれど、人生をかけてしたいことが何なのか、まだわかっていなかった。
今ならわかる。
コトを動かしたいなら、法の下へ。
ヒトを変えたいなら教育の場へ。
私は人生をかけて、この二本柱に従事しよう。
こうしてたまに、お金では買えない言葉を使いながら。
人間はお金というツールだけを開発したんではない。
言葉も人生を潤す為の人間が開発したものじゃないか。
どうして人はお金だけに支配されるのか。
さあ、世界を変えよう。
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